アイデアの作り方と創造性
かねてから、アイデアの作り方について、ジェームス ヤングの
アイデアの作り方‘(阪急コミュニケーションズ出版)を紹介して
‘アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外のなにものでもない‘
という一文を紹介しているが、今回、たまたまアップルのスティーブジョブス
が創造性について同じ事を言っているので紹介する。
かねてから、アイデアの作り方について、ジェームス ヤングの
アイデアの作り方‘(阪急コミュニケーションズ出版)を紹介して
‘アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外のなにものでもない‘
という一文を紹介しているが、今回、たまたまアップルのスティーブジョブス
が創造性について同じ事を言っているので紹介する。
ウサギは、カメを馬鹿にして山登りのレースをした結果、油断し寝過ごして
負けたことをいまでも悔やんでいた。
あの勝負以来、ウサギには怠け者のレッテルが貼られカメは歩みがいかに
のろくとも着実に仕事を進めるものは必ず勝つ、という世の多くの人を
力づける教訓となったからである。
そこで、ウサギはもう一度カメと競争して汚名挽回を図ろう、と考えて
カメのところに出かけていった。
久しぶりに太陽と北風がばったりであった。
秋も深まってまもなく冬である。歩く人は時々吹く冷たい風を気にして
コートのボタンをしっかり留めて身を守るようにあるいている。
ちょうど、何年か前に太陽と北風が勝負したときもこの時期だったことを
彼らも思い出していた。
最近、池波正太郎にはまっている。
今年の6月、コロムビアの社長を退任するとき、友人が池波正太郎の剣術商売
を読むことを薦めてくれたときからである。
それまで、池波正太郎の作品とは無関係であった。
市場から見る、つまりマーケットニーズを満たす技術があるかどうか、という
視点である。
ニーズに対してそれを満たす技術がなければ新たに開発をすることもある。
このようにして開発された技術は開発の時点で既に市場調査は終わっていて、
マーケティングはニーズにこたえる解決策というメッセージによって進め
ルことができ、営業上のターゲットもそのニーズをもっているところ、という
事から比較的容易に定めることが出来る。
開発された技術には大きく分けて二つの背景があるのではないだろうか。
ひとつはその技術を開発することそのことが目的となって開発された技術
である。
もうひとつは、何らかの解決すべきことがあり、その解決のために開発
された技術である。
どちらの技術がよい、悪いの議論ではない。
最近、同じような状況に2件でくわした。
両方とも、事業的に瀕死の状態にある企業である。
そこの経営者から会議に参加して欲しいとの依頼を受けて顔を出した。
世界でもっとも優れた、英語アラビア語の、翻訳ソフトがイラク戦争との
絡みで開発され、それが一般にも使えるようになったのでそのソフトの
ライセンスを入手。
日本でビジネスにならないか?
円高への素朴な疑問。円という通貨が商品化され、取引されているのだけど、、、
デフレ宣言が出た。デフレってなんだ?いまひとつよくわからない。
よくわからないと手の打ちようが無い。
伝えることと作ることとは異なる。
当たり前のことであるし、誰もが当たり前だとおもっている。
ところが実際にその区別がついているのだろうか?
大阪は東京よりも更に不景気?
たった3人、家族で経営しているレコード会社がある。
レコードという大量生産大量販売の商品とおもわれている世界に3人で、
しかもすばらしい音楽をつくりだしている。
これからのレコードビジネスのひとつのモデルではないか?
イソップには現代に通じる寓話も多い。
でも、みんな短い寓話なので前後が省略されているのもある。
この狐と葡萄の話にもかかれなかったところがある。
今日、世界地図を買った。
正月はこれを眺めて、、、、
昨年、大晦日に、‘正月は世界地図を見て、、‘と意気込んで中学生以来はじめて
地図帳を買ったところまでは前回の12月31日のブログに書いたが、、、、
じつは元旦の朝から腰、背中、肩に激痛とはいわないまでもかなりの痛みがでて
家の中の階段を下りるときにも腰に響くほど、、、結局正月三が日では体調戻らず
4日も自宅静養、昨日からようやく活動を開始。でも腰をかばって歩くのでなにか
おかしい。
そもそも、世界地図を買ったのは日米、日中という対比が地図上では
どうなっているか、と言う興味からだった。ところが、、、、
2月1日発売の週刊東洋経済は力作である。
特集が2020の世界と日本についての予測である。
特に中国についての評価とアメリカについての評価がおもしろい。
これはアメリカの学者などの意見が多いからだと思うが、、、
あいかわらず、小沢、鳩山のお金の話題でマスコミは持ちきりだが
オリンピックで少しは変わるか?
今年は確定申告で鳩山流、小沢流の工夫をする人が激増するのでは?
もっともそれほど金持ちはたくさんいないかもしれないが、、、
先週木曜日、2月18日に沖縄で今後の沖縄の観光戦略について討議する
会議に参加した。
議論をするにあたって正月に購入した地図とコンパスの効果がさっそく
発揮できた。
最近、限界コストがタダだからタダでいいのだ、というはなしがある。
これってかなり面白い。
今年まちがいなく大きな話題になるのは本格的な電子出版物流通だろう。
キンドルは出ているし、すでにネットでは日本語対応ソフトまで流通している。
アメリカからネットでキンドル端末を購入し、それに日本語ソフトを導入して
青空文庫を楽しんでいる人もでてきている。
今日、仕事の帰りに地下鉄のなかでなんとなく広告をみていたら、
‘新しいコク、ご贔屓に、‘というコピーが目に入ってきた。
出版物のネット配信のアプローチにはいろいろありそうである。
ひとつは比較的著作権などの話し合いがしやすい学術書を
配信するアプローチもあるだろう。しかし、出版物といっても
書籍ではなく新聞が配信されるとどうなるのだろう?
今年も就職活動の季節が始まったのか、街中ではリクルート姿を
見かけるようになった。この中の何人が現役で何人くらいが浪人
なのか?
私の特技の一つは採用である。
人を採用する目利きだという意味ではない。しかし30代のはじめから採用にかかわり
昨年までの30年間の採用経験から得た、就職活動の心得のようなものがある。
デジタルはマーケティングをどう変えたか?
こんなお題をいただいて、6月8日の夜、サンケイ主催の大手町ニュースカレッジで
社会人向けに新しく出来た夜のカレッジで講演することになった。
デジタルって、、、マーケティングって、、、?
とにかくこのつかみ所の無いキーワードで90分話すのは結構しんどそうである。
話は出来るだけ具体的なことのほうがよほど話しやすい。
そこで一計を案じ、いま毎週教えている早稲田大学の教室の学生に‘デジタルってなんだ?‘
という質問をしてそれぞれの答えを書いてもらった。
これを講演の枕にしようという魂胆である。
時間のサイクルの違い、感じたことないだろうか?
どうも最近このサイクルの同期に苦労する。
新聞は構造不況業種だといわれ久しいが、アメリカの新聞業界は
生き返りつつある。
今週、JALの事業再生計画が発表されていた。その計画が実現されても必ずしも再生できるとは思えない。
日本のメディア風にいうと、また円高が進んで83円台になってきている。
相変わらず、円高でドル安である。
1ドル82円のラインで介入し、瞬間的に85円まで上がった
ものの、すぐに戻り、いまや80円台である。
あの、日銀がドル買いに使った数兆円はどこにいってしまったのだろう?
85円で買ったものが80円に値下がりしているのだから6%の値下がり
である。もし、3兆円を介入に使っていたとしたら3兆円の6%、つまり
1800億円が減ったわけだが、、、、
もっとも、いつか85円を越えるまで待ってそのとき手持ちのドルを放出
したら取り返せるが、、、
今朝、知人に偶然会ったとき聞いた話である。
とってもおもしろく、実現性ガ十分ある話しなので紹介する。
最近知り合いからアメリカのテレビテレビドラマで
面白いのがあると教えてもらった。
フリンジ。
さっそく、大嫌いなTSUTAYAに行き会員登録をして
フリンジのDVDを借り出す。一枚が約400円。
決して安くない。牛丼が280円のじだいだから。
これって音楽のCDみたいに誰かが借り出してパソコンで
コピーして回しているんだろうか?
そうだとすれば4人に回せば一人100円だから高くないか。
住んでいる地域にはブックオフあり、TSUTAYAありで
著作権無法地帯。おまけに牛丼やが3軒、どこも280円
さらには定食屋では朝定食が290円、マッサージが
一時間で2950円。
とうとうハンバーグ定食が400円。
全く住みやすくなったものである。
そんな環境でのTSUTAYAのDVDである。
昨年10月頃からポレノン
という花粉症対策のスプレイ商品のプロモーションに
参加している。
参加の動機はふたつ。
私自身はそれほどの花粉症ではないので自分のニーズからではない。
この商品とそれを開発製造している企業に興味があったからである。
花粉症対策の商品は抗ヒスタミン系のもの、あるいはステロイドの注射、
あるいはタウロミンのような飲み薬などいろいろあるがいずれも治療しよう
という感じのものである。
ところが、ポレノンは言ってみれば液体マスクという感じのものである。
スプレイしたらコンドーム代わりになるという商品があるらしいがそれに
類していてスプレイすると粘膜の上に多糖体のひとつのペクチンで薄い
液体の幕を張ってマスクの役割をさせるものである。
液体だから流れ落ちる心配があるし、粘膜だから適当に無くなってくれない
とこまる。そこである程度粘膜に吸着性を持たす工夫が必要なのだが
ここに工夫した商品である。
したがって、副作用もなさそうだし、段々強くしなければ効かないというような
心配もなく、しかも抗ヒスタミン性ではないから眠くならない。
この液体マスクというところに興味を惹かれた。
二番目はこれを開発販売している会社が極めて小さなベンチャーであるところ
である。
製品を発明した元大学教授、それと製薬会社OBが二人、営業責任者が一人
事務その他もろもろが一人、合計5人である。製造はファブレスの思想で安心
できる製造会社に委託している。
根源気のない日本で護りに入った大企業ばかりで成長の見えない時代に
こんな極小ベンチャーの製品がプレイクして大成長出来ればこんな楽しい
ことはない、と思った。
極小ベンチャーでこの商品が最初の商品だから当然有り金はほとんど全て
製品の製造につぎ込まなければならない。広告・宣伝・プロモーションの予算
など新たに借金しなければ出来ないようなありさまである。
これも面白い。
どれだけお金を使わずに認知、好感度を高め商品をブレイクさせるかも
チャレンジである。
そんなわけでこの会社の人と一緒に活動して役4ヶ月足らずだが、とうとう
アマゾンの花粉症関連商品のランキングトップにまで躍り出た。
小売店への出荷は1月上旬にはじまったばかりというのに、である。
これまでうまく進んできた秘密は、まず、商品のよさがある。それに加えて
外部も入れて10人ほどのチームだが全員がこの仕事を楽しんでいること
である。
雰囲気は1990年代に経験したシリコンバレーのベンチャーそっくりである。
ひょっとしたらアメリカンドリームならぬジャパニーズドリームが実現する
かもしれないと最近はわくわくしている。
ポレノン、興味があったら検索してみて欲しい。
どうも、オフィスのタイプによってアイデアのでやすいオフィス、
出にくいオフィスがあるのに気がついた。
これまでの自分の仕事の遍歴を思い返してみると企業によって
オフィスの構成が大きく異なる事に気がついた。
これまではそれぞれの企業のカラーだと思ってあまり深く
考えなかったが思い返してみると事業のタイプによって
オフィスの作り方が違うのに気づきた。
多くの伝統的な企業のオフィスレイアウトとアイデアを生み出す
事が仕事の上で求められるタイプの企業のオフィスとは異なっている。
最も特徴的なのはその会議室、会議スペースの取り方、そこに置かれた
備品の違いである。
多くの伝統的な企業のオフィスを見てみよう。
まず、全体のオフィススペースにおける会議室の割合が低い。
小さな会議室というのは殆どなく応接セットが入った応接室がほぼ
部門ごとにある。
会議室ももっぱら打ち合わせに使うので机と椅子だけの部屋である。
続く、
そもそもオフィスはどのようにデザインされるのか?
スペースにレイアウトするのだが何らかの考えがあって
レイアウトされているはず。
論理的に考えるとこんな風になる。
オフィスはビジネスの現場である。作業場でもある。
そこで行われる仕事の基本となっている事業がある。
事業には事業モデルがある。ビジネスモデルと言っても
よい。事業モデルを実行するためにその事業モデルにあった
組織がある。それを組織図で表す。組織図にあわせて
人が割り付けられる。同時に割りつけられた人がやるべき
仕事が決まる。仕事は組織を横断的にあるいは上下して
処理されて行く。そこでこの様な仕事の現場である
オフィスはその仕事ができるだけスムーズに流れるように
配置される。事業の全体が一つのフロアに入るような
オフィスがあればそのフロアには組織図どおりのレイアウト
つくられるだろう。多くの事業はこのレイアウトの中を流れて
いく。多くの事業モデルはそれぞれの組織、その中の働く人
の役割は決まっているから担当者は流れて来た仕事を処理し
管理者はその管理をする。この様な組織ではアイデアを出す
ことは求められていない。 続く、
最近、新しい事業についてのモデルを検討している。
ビジネスを考えるとき、いろんなとっかかりがある。技術を開発する
ビジネス、技術を見つけたのでそれを生かして何かモノをつくる
ビジネス、モノがある、あるいは出来たのでそれを売るビジネスなど
いろいろなタイプがある。今考えているのは需要の市場があって、
一方では商品、サービスがあるのだがその間を結ぶプロセスが
旧来のまま市場も発達し商品、サービスのほうも発達している
環境で、その需要と供給の結びつけがスムーズで効率的で統合的
になることで新たな価値が生まれるようなビジネスである。
こんなビジネスを考えているときに、気がついたことがある。
ビジネスだから売上げを考える必要があるのだがその売上げの
売り上げ方、別の言い方では一円の稼ぎ方にはいろいろあって、
その稼ぎ方を考えることがとても重要だと思い始めた。
当たり前といえば極めて当たり前のことであり、それまではとりたてて
意識せずそれなりに考えてきたのだが、はっきり意識してみると
とても興味のあるポイントであることに気がついた。
結論は最初の一円が次の一円につながるように最初の一円の
売り上げ方をデザインする。そうすれば最初の一円を得れば
その後はそれに続いて一円がつながって入ってくる。
今回考えているビジネスではぜひそんな仕組みを組み込もうと
考えている。
このところ、ブログを書くことは自分の中でオフモードに入っていた。
この間、時々このブログをチェックしてくださった方々にはお詫びを
申し上げる。
ちょっと言い訳がましいが、テーマはオンとオフである。
自分は元来生活にオンとオフがはっきりしていない人間だった。
多分、こどものころからだろう。
学校の教室でも先生の話に集中すべき時間でありながら、顔は
先生のほうに向いているのにあたまの中では関係の無いことを
考えていたり、、遊んでいることに集中できず勉強をしなければ、、
などと考えていたり、、、
大人になってもこの習慣は変わらず、仕事についても週末も会社に
出てだらだら仕事をしたり、残業をしたり、、、仕事が終わってすっきり
遊びに出るかというとそうでもなく、うまく週末を楽しめたことはめったに
無いような生活だった。
ところが最近気がついたのは自分の生活がまるでスイッチが切り替わる
ようにオンとオフがはっきりしてしまっていることである。
多分、これは去年あたりからである。
つまり、平日は18時、せいぜい19時になるとオフィスではもはや仕事
を続けることは出来ない。身体も頭も嫌がっているのである。
相変わらず昔からのクセで、金曜日の夕方には‘週末にこれを片付けよう
といくつか仕事の項目を思い浮かべて関係資料をかばんに入れる。
しかし、いったん家に帰って週末になると、かばんすら開けることはない。
酷いときはかばんにいれてある携帯電話すら持ち出さない。
週末は基本的には家にいて何も出来ないモードに入っている。
以前は良く出かけていた渋谷とか銀座にも、‘よし、行こう!‘と決心しない
と動かない。以前のようななんとなく人の多いところをうろつく、ということが
なくなってきている。
そのかわり、毎週末、きまって住んでいるところの数軒ある古本屋をのぞきに
いく。それにあわせて、心がけているウォーキングを週末の義務のごとくこなす。
こんな具合でも、週末があけた朝は週末には予想も出来ないほど仕事スイッチ
ガ入っている。
なにが生活習慣を変えたのか判らない。オンオフがはっきりしてきたと同時に
生活での意識がすこしストイックになってきている気がする。
普通の基準で考えればオンとオフがはっきりしていることは良いことかもしれない。
しかし、なんとなく仕事をしなんとなく遊び、なんとなく食べ、、、というけっこう散漫
な生活をしてきた自分にとってオンとオフがはっきりしてくるとなにかオンとオフの
間になるものを失っているのではないか、とちょっと心配になってきている。
海外のネットショップから購入すると消費税がかからないことを実感した。
場合によっては輸入税も無い。
しかし、カーペットのようなものはめったに買わない。
もし、毎日、あるいは毎週買うもので消費税のかからない買い方があれば
噂されている消費税の増税も怖くない。
日常生活にいまや無くてはならないのがスーパーである。
食品だけでなくちょっとした日用品はほとんどスーパーで間に合う。
今住んでいるところには結構規模の大きいスーパーが歩ける距離の範囲で
3軒もあるがいずれもいつでもそこそこ混んでいる。それだけの需要がある
のである。それらのスーパーの売上げの5%は消費税である。まもなく10%
になるだろう。大衆の見方であったはずの今の政府は実はかなりたちの悪い
増税政府だからだ。
そこで、増税に対するささやかな抵抗だが、誰かこんなスーパーを作ってくれ
ないだろうか?
われわれ買い手との接点はネット上のスーパーである。ただし、そのスーパーの
所在地は海外である。事業としては法人税の安いシンガポールがいいだろう。
あるいは税金が全くかからないカタールでもいい。とにかく日本の消費税の適用
域外にある必要がある。
我々はそのネットショップのネットカタログで選んで注文する。値段はスーパーと
同じく、タイムサービスがあったり、本日の特売があったりする。
注文したものは配送される。配送料金は購入金額に応じて設定されていてある金額
以上ならただである。
さて、問題は配送である。ネットサイトがシンガポールにあるからといって、配送は
シンガポールから行う必要はない。日本国内に配送所があってシンガポールで受けた
注文はその配送センターに回され、配送センターから配送される、という仕組みである。
つまり、注文はネットで行うがいまスーパーのあるようにそれぞれの地域に配送
センターがあればよいのである。
配送センターだから家賃の高い商店街に無くても良い。配送センターだから店員が
いらっしゃいませ、ありがとうございます、、、なんていう必要はない。
自動倉庫化されていれば人件費は大幅に削減されるだろう。
スーパーに行くのはいろんな品物を見る楽しみがあるからだ、、というかもしれない。
あるいはレジでありがとうございました、とか本のちょっとした会話が楽しみで行くの
かもしれない。
しかし、新たな仕組みで新たな楽しみを作りこめば良い。
たとえばびっくりパッケージが福袋のようにお店からプレゼントされる、とかである。
年金生活者のエンゲル係数はたぶん高いだろう。しかもほとんどの消費は日用品と
食料品だろう。それに支払うこれからの消費税は馬鹿にならない。
消費者も少し賢くなる努力をしよう。
ちなみにスーパーのほうもこのようなビジネス形態にすると法人税はシンガポールで
支払うから日本の三分の一になる。
自分の最近の生活をみていると日常の生活用品はほとんど決まっているので一週間
分をまとめて買うことにさほど問題はない。急に必要になったものはコンビニに行けば
よいのだから、、、、
そうすれば毎週玄関にダンボール箱が届くような生活になる。
年をとって足元がおぼつかなくなると雨の日は出るのがいやになる。
だが、こんなネットのデリバリースーパーが出来ればそんな心配も無くなる。
パソコンを使ってネットで注文するなんて、、、使い方が判らない、、、という人には
WIFI接続の専用ネットカタログタブレットを配れば良い。
いまのパソコンのような汎用機ではなく、専用機である。このネットスーパーにだけ
つながっていてそのカタログとお知らせだけに使えるタブレットである。
WIFIはどうする?
スーパーの店舗開設を考えれば店域に専用のWIFIネットを構築するのははるかに安価
だし、もちろん既存のWIFIサービスと提携するのも可能である。
昔、コネチカットに住んでいたとき、週末にはニュージャージーに買出しにいっていたこと
を思い出す。理由はニュージャージーの消費税はコネチカットやニューヨークよりも
安かったからである。
企業のコアコンピテンスについて、先のブログではある特定の調味料メーカーの
ケースとレコードメーカーのケースを取り上げた。
また、類似のケースが見つかった。
今回のケースは企業ではなく地方公共団体である。
あるところで毎年チューリップフェアをやっているチューリップの名産地がある。
ここでの悩みはチューリップの時期が4月の下旬の時期に限定されていて
そのときだけとても多くの人が全国から押し寄せるのだが、それ以外の時期は
閑古鳥が鳴いている。
ここはチューリップの名産地だがチューリップフェアは時期がかぎられているので
その名産であるチューリップをもっと活用できないか、と考えている。
しかし、花は時期が限られているのでそれ以外の季節で活用しようと思ったら
チューリップの球根の活用を考えるところに至った。球根を食用にしてご当地
グルメを作れないか、、、いろいろ考えるのだがなかなかこれといった名案が
でない。
ところで、チューリップとチューリップフェアを見たとき、そのコアコンピテンスは
チューリップだろうか?ひょっとしてチューリップフェアというフラワーフェスティバル
を実施する仕組みがコアコンピテンスなのではないだろうか?
そのように考えてみると、このフラワーフェスティバルの仕組みを使って春の4月は
チューリップフェアを行うが夏にはひまわりフェア、あるいはカンナフェア、秋には
何とかフェアと、、、あそこに行けば一年のほとんどの期間素晴らしい花のフェアを
やっている、ということになればチューリップそのものの拡大を図るよりもはるかに
大きな展開ができるのではないだろうか?
ここでも作る商品、すなわちチューリップに目をつけるよりもそれをフェアにする
プロセスを活用したほうがいろんなことが出来ることに気がつく。
実は、フラワーフェスティバルの展開で事業を拡大していこう、と考えたときには
なにもその花をそこで生産していなくてもよいのである。
フラワーフェアをやる、というのが売りなのだからそのフェアで見せる花はどこか
から仕入れてきてもよいのである。
机の上を整理していたら昨年の7月に海外に出かけたときにドルを購入した
ときのレシートが出てきた。
そのときの換算レートは1ドル96円だった。
今は1ドル76円である。
この間、16ヶ月。その間に20円、円高になった。
なんと毎月1.25円づつ円高になっている計算である。
76円を基準とすると毎月1.6%円の価値が上がっていることになる。
ところで、いまどんな銀行の預金に預けてもこんな利息にはなりえない。
年利で見ると、96円でもっていたものが16ヶ月間に20円価値が増え
たのだから年率でみると15%の価値の上昇である。
こんなにもっているだけで価値が上がる円なのだから急いで使う人は
まずい無いだろう。持っているだけで価値が上がるのだから。
ところで、16ヶ月前に円からドルに買えた残りが100ドルほど手元にある。
これは実に引き出しに入れておいただけでこの期間に26ドルも目減りして
いる!
もし、ある品物が16ヶ月前に海外に輸出されていてそれが在庫として
残っていてその商品が16ヶ月前と同じ値段で売られているとしたら実は
円での売上げは25%も目減りしていることになる。
おおよそ企業の営業利益は良くて10%である。25%も目減りしたのでは
その企業には何も間違ったことをしていなくても赤字転落である。
1年半前には96円で輸出していた商品を海外での価格競争力を同じに保つ
には今では76円で輸出しなければならない。
さて、どうしたものか、、、、
前回は自分の体験から過去16ヶ月間の円高の動きを見てみた。
ほとんどの円高の議論は日本の中から、自分の問題としてみている。
ちょっと視点を変えて、外からみるとどのように見えるか2,3の例で
見てみよう。
国債残高
我々の関心の高い増税にからむ国債残高である。ギリシャ危機を
引き合いに脅迫されているように感じる人も多いだろう。しかし普通の
人には反論できるだけの国際金融知識、財政知識がないので押し切られ
ているしかない、とあきらめている人も多いだろう。かなりの人は、何か
おかしい、と感じているだろう。
さて、この国債残高は国家予算の赤字の積み上げであるが、最近では
年間に40兆円ほどの赤字国債を発行しているから、おおよそ同じ程度で
毎年増えていると考えて良いだろう。残高合計が800兆円とすると
毎年5%の割合で増えている、ということになる。
さて、2010年6月と2011年10月を比較してみると、年額40兆円
で増えているとして、しかも2010年6月時点での残高が800兆円と
したら現在はほぼ一年半を経過しているから大雑把にいうと860兆円
になっていると想定しよう。
さて、これを海外の視点でみるとどうなるだろうか?
この間に円は25%高くなっている。96円だったものが75円になっている
からである。この尺度で日本の国債残高を海外から見ると、海外では
ドル建てで見ているだろうから、ドル換算すると国債残高がまず円高
による影響だけで25%増加し、さらに年額増加分の60兆円すなわち
7.5%の増加が加算され、しかもその7.5%の増加分にも平均てきに
みると12.5%の円高影響が出る。つまり、ドルで見ると800兆円の
2010年6月時点のドル換算残高に対して25%ドルで見かけ上増えて
いて、さらにその間の60兆円に関してもドルに換算するだけで12.5%
分増えているがごとく見える。
つまり、ベースの円が上がっているのでドルで見るととんでもなく国債が
増えているように見える。
各国の国債残高を単純に比較するときにもしドル換算で比較していたら
通貨価値の下がっているアメリカでは実質以下の増加に見え、通貨価値
のあがっている日本では25%以上も増えているように見える。
もし、こんな数字をベースに、‘日本の国債残高は危険水域にある‘と
はやし立てられたら?
それではもし円安になったら?当然ながら国債残高は増えているのに
ドルで見たときにはあたかも国債残高が減ったように見えるか、あるいは
実質の増加額よりも少ない増加額に見える。
一見、財政の健全化であるがごとく見える。
収入と物価
我々の収入も、、、2010年6月時点よりも現在は10%くらい下がっていて
もドルで見る限り増えているように見える。
デフレといわれているものの価格にしてももし国際比較のためにドル換算
していたら、、、、これも価格が上昇しているように見える。
まさか、どこかの政府の財務省とか、こんな数字を見ているわけではない
と思うが、、、、
大臣説明に国際比較の数字をドルで単純にドルで換算した数字を見せて
国債残高は恐ろしいほど増えているとか、国民の収入は国際比較では
増えているとか、、物価は上昇しているからデフレではないとか、、、、
こんな風に使われていないことは無いとは思うが、、、、
急激な円高の日本を単純にドル建てで外からみると、こんな風に見える。
もちろん、本当は円高分を調整して見なければいけないのだが、単純に
比較すると日本はとんでもなく国債残高は急増していて、国民の収入は
それなりに伸びていて、物価も決して下がってデフレ、という状態には
なっていないように見える。
某銀行が円の発行をすればインフレになってしまう、と思っているとしたら
こんな風に国際的に見れば国民所得は増加しているし物価もそこそこ
上がっているのだから、、、とまさか思ってはいないだろうと信じるが、、、
しかし、この見方は某銀行の行動を良く説明してはいないだろうか?
さて、どうも実質と見かけとはいろんなところで違っていて、何を基準と
してみれば良いのかわからなくなってくる。
この判らなくなっているところを掘り下げて見たいのだが、、、、能力の
限界を感じはじめている。
円高のことを見ているとこの舞台の主役はどうも財務省と日銀のようである。
財務省に関しては素人大臣がいろいろ発言するので善し悪しは別として
その存在は見えるが、いっこうによく見えないのが日銀である。
そこで、日銀とはどんな銀行でどんな役割を持っているのか調べることに
した。
便利なことに、日銀は特別な銀行らしく、その目的とか業務が日本銀行法という
法律で規定されている。
そこで、この日本銀行法を見てみることにした。
法律というからさぞかし難解だろうとおもったらそうでもないのでその条文を
いくつか紹介することにする。
第一条
日本銀行は我が国の中央銀行として、銀行券を発行するとともに、通貨および
金融の調節を行うことを目的とする。
日本銀行は前項にきていするもののほか、銀行その他の金融機関の間で行われる
資金決済の円滑の確保を図り、もって信用秩序の維持に資することを目的とする。
おやおや、第一条を見る限り、円の価値を調整するのは日銀の最大の役目である。
しかも通貨と金融の調節は銀行券の発行と関連付けられている。
さらに、ここには財務省の文字はどこにも現れない。
第二条
日本銀行は、通貨及び金融の調節を行うにあたっては、物価の安定を図ることを
通じて国民経済の健全な発展に資することをもって、その理念とする。
物価の安定を図ることが日銀の使命であり、そのために通貨及び金融の調節という
役割を持っている、というわけである。
この物価の安定、という言葉の解釈が曲者かもしれない。
これまでの経済では物価の安定とは物価の高騰を避ける、という意味であったの
のだろう。まさか、物価が下がる方向に不安定になっていることは考えていない
のかもしれない。マージンも出ないような価格で物を提供し、そのしわ寄せが賃金
の引き下げとなり、国民経済の健全な発展とは異なる方向に進んでいるのだが、、
しかも、円も一つの商品としてみたとき、円という物の価値の安定を図るのは
日銀の使命である、読み取れる。円は市場で取引されているのだから、商品の
一つであることは明らかだろう。
第三条
日本銀行の通貨及び金融の調節における自主性は尊重されなければならない。
日本銀行は、通貨及び金融の調節に関する意思決定の内容及び過程を国民に
明らかにするよう努めなければならない。
この第三条も意味深い。
日銀は自主的でなければならないそうである。それは通貨と金融の調節にあたって、
である。
しかし、昨今の円高の調整には日銀の自主的行動は全く見られない。すべて財務省
の指示による相場介入のオペレーションである。日銀は自らの主体性を放棄して
いるように見えるが、、、、
さらには、日銀は意思決定の内容及び過程を国民に明らかにするよう努めなければ
ならない、とあるがこれほど経済の状況が逼迫しているときに円高介入に絡んでも
出てくるのは財務大臣など政府だけである。日銀は政府を隠れ蓑にして、風当たり
を避けているのだろうか?日銀総裁が最近国民の前でなにか明らかにしたような
記憶はないが、、、、
まず、日本銀行法の最初の三条を見てみた。
おおよそ、法律は最初の条文に基本的でかつもっとも重要なことが書かれている。
それを見る限り、なんとなく今の日銀は円高是正に対してやるべきことをやっていない
という風にみえる。
別な解釈をすると、日銀は今の状態を決して円高ではない、と見ているのかも
しれない。そのあたりについても、日銀はその見解を国民に明らかにする義務が
ある、と第三条からは読み取れるのだが、、、、、、
日本銀行法は思いのほかわかりやすく、面白そうなのでもう少し読んでみることに
する。
円という通貨をドルで買える商品として見ることができるだろう。
円が商品であるためには円が商品として売買される市場が無ければ
ならない。さらに、当たり前のことだがその価格は市場での取引で
決まる必要がある。1970年代の後半に円が変動相場制になって
からこれらの条件がみたされることになった。言い換えればそのとき
から円は商品になった、といえるだろう。
さて、商品の価格は市場において需要と供給のバランスで決まると
考える。そこでは需要が供給よりも高い場合はその価格は上がる。
逆に供給が需要より多ければ価格は下がる。
普通の商品においては市場で取引される価格が高くなると、
つまり需要が供給よりも高い状態になると、その商品を供給している
ところは供給を増やすことによって需要を満たそうとする。なぜなら
供給が需要を上回らない限り売れ続け、売上げが上がり、利益増が
期待できるからである。
円という商品を供給できるところは日本銀行であるから、日本銀行だけ
が円を生産することが出来て供給することができる。但し、通貨の市場
には日銀以外の金融機関も参加できる。たとえば外国為替取引のできる
銀行で手持ちの円を持っていればそれをうることも出来、ドルを持って
いれば円を買うこともできる。従って市場のプレーヤーは中央銀行だけ
ではない。
通常、商品には在庫がある。従って需要が強くなるとまず、在庫分を
販売する。これは日本銀行が手持ちの円を市場に放出することが
これに該当する。
在庫が少なくなると通常のビジネスでは追加生産をする。
ただ、通貨の場合、円を売り出して需要を満たした後に手持ちが減ったら
円を買い戻すことが出来る。通貨には新品も中古も無いからこのような
ことが可能になる。ただし、この買戻し行為は時によってせっかく調整
した円の価格を自ら高くしてしまう恐れがある。そうなる危険性がある
ときには市場から買い戻して手持ちの円の在庫を補充することはでき
ない。多分、今の状態がその状況だろう。
そんなときに誰かが市場で円を買い始めると円は高くなる。
日本銀行としては手持ちの円の在庫が減っているときに円買いに
来られると在庫の放出だけでは円の水準を維持できないので、そのとき
には円を生産せざるを得ない。
普通のビジネスなら円という商品の価格が高い方向に進んでいて
手持ちの在庫が減りそうならあらかじめ円を増産する。
手持ちの円を放出するのは為替介入だし、円を増産するのは円の量的
緩和に該当する。
市場が日本銀行の円の手持ち残高、すなわち在庫高を知らなければ
良いが、どれだけもっているか判ればその持ち高を全部買い取るような
行動に出て円を高くすることが可能である。事実、市場は日本銀行が
どれくらい円を持っているか知っている。どんどん買い進められた段階
であわてて円を増産しそれを放出するとする。そうすると一時的に
市場に円が増えるから、そのタイミングを見計らって円を持っているところ
が一気に円を売りに出すと円は急落することになる。
市場の大きいさに比べて日本銀行の持っている在庫が十分大きければ
市場をコントロールすることは可能かもしれない。しかし、市場での円の
大きさがどれくらいあるのか判らないとこのコントロールも容易ではない。
そこで次に考えてみたいのは市場で売買可能な、つまり流動性のある
円の通過量はどれくらいあるかである。当然ながらその量は発行残高
よりも少ないだろう。
就職活動に絡んだはなしである。
大学で教えていることは主に学問、知識で理工系では技法も習う。
学生が学生生活で身に付いたと思っているとトップスリーは、
バイトを通じてチームワークを身につけ、お客様の重要性を知り、
クラブ活動を通じて人をまとめるというリーダーシップを発揮し
、そして海外旅行を通じていろんな人々とコミュニケーションが
できたこと、という。
つまり、彼らの教室はバイト先であり、クラブ活動であり海外旅行
である、
企業が求めるのはコミュニケーションの出来る人、仕事でリーダー
シップが発揮できる人、lそしてチームワークの出来る人、である。
企業側と学生との意識は一致している。ただ、大学だけがこれらとは
無関係なごとく学問を扱っている。
どうも社会と学生の間で大学が遊離しているのではなかろうか?
先週、京都に出かけて、京友禅の制作プロデュースをしている方
を訪問。
京友禅の技術を活かした今に通じる何か商品を企画開発する相談
である。
10月の上旬に赤坂のテレビ局前で京都の伝統技術を活かした商品
の物産展が開かれていた。知人が企画していた展示会だったので
何を見る、というあてもなく出かけたのだが、その中で偶然にも
友禅の染めを使ってなんの変哲もない帆布のトートバッグにボーダー
でアクセントをつけたしゃれた商品をみつけ、その場で売り物で
なにのに一つ譲ってもらい、それがきっかけでこれらの友禅染を
活用した商品をプロデュースしている方と知り合う機会をえた。
`そめてん`というグループを組織し、新しい京友禅の活用を
試みている人である。
先週はその方にお会いし京友禅の現状を知りたいと思ってうかがった
わけである。
おおよそ友禅のことは人に聞いたりして着物に染め上がったものは
見たりしていたがその製造について知るのは初めてである。
まず、驚いたことに下絵描き、その絵から絹地にその下絵を写し
さらに下絵部分にノリ染めのノリをおいたり、蝋をおいたりする
作業、そのノリをおかれた絹地を染めて、蒸して、ノリを流す作業、
さらに染め上がったものに絵を刺したり、金箔をおいたりする作業、
出来上がった反物を仕立て上げる作業、、と細かい作業ごとに専門の
職人がいて、その職人の間を絹地がまるで工場の機械の間を縫って
動くように移動していちまいの友禅染めの着物に仕上がって行く。
仕上がった着物は呉服問屋から呉服屋に出て行くのだがその最大手は
大手百貨店の呉服部門であったという。
この中で呉服問屋は商社、プロデューサーの役割を果たしていたのだが
呉服が廃れ、百貨店が弱くなるのとともに問屋も力を失い、数も減って
きた。現在は京呉服のビジネスは1980年代のピーク時に比べて
20分の一の規模になっているという。
制作工程のそれぞれの作業を行う職人集団も以前は10人、20人と
同じ加工を行う職人が集まり仕事をしていたものが、現在では2、3人
というほぼ極限の規模にまで縮小されてしまっている。
製造工程が細かくわかれ専門化していることは大量に作る場合には
適しているが今のような衰退期になるとその工程の一つの職人がいなく
なってしまうと京友禅の制作の全工程が動かなくなってしまう。
そこで、京友禅の技術と職人を確保するためには呉服の仕事だけではなく
新しい何かを商品化することを目的として出来たのがこの`そめてん`
のグループである。
実はもう一つ、富山の方の伝統技術の継承に関する研究プロジェクトに
関わっている。京友禅の場合も富山の場合も伝統技術の継承と活用がテーマ
だが少々ことなっているのは京友禅は積極的に新たな商品開発に展開しよう
というところに重点があり、富山の方は伝統技術の継承そのものに重点がある。
ただ、富山の伝統技術の継承のプロジェクトでも単に技術継承だけでは生きた
技術の継承にならない、という懸念がある。
技術を生きたまま継承するには現代に通用し市場価値のある商品を作り出す
ことである。
京友禅と富山のケースの双方を見ていて感じるのは技術に関してはその価値を
評価され技術保存のための施策があったりするが、技術を今に活かす手だてが
まずは得られていない。
以前から技術を活かすにはどんな機能が必要か、考えていたのだが今回の友禅
の勉強に出かけてわかったのは問屋構造に代わる機能がないことである。
技術が残ってもそれをファイナンスしプロデュースしていた問屋がなくなると
市場、顧客とのパイプが切れてしまう。実は既にほとんど切れている。
それに代わるものは商社だろう。それも大商社の必要はない。ある意味では
マーケティングプロデューサーとも言うべき商社機能を作ることができたら
これらの技術がまたビジネスプロセスの中で回りだすだろう。
ヨーロッパでは馬具、とくに乗馬の鞍などをもっぱら作っていたところが馬から
車に移動手段が変わり、鞍など馬具の需要が無くなると、消えてしまった馬具やも
あるだろうが、馬具やのなかにはその鞍を作る技術を使ってバッグ、トランクなど
を作りファッションブランドに転身した例がいくつもある。
出来上がった製品であるバッグと鞍を見ている限りその共通点は簡単には見いだせ
無いかもしれないがそのベースになっているのは革の扱う技術と縫製の技術である。
京友禅も呉服の染め技術という捉え方からそのエッセンスの染め、あるいは下絵の
デザイン、高度な分業工程などの特徴を生かしてその上に新しいビジネスを
生み出すことが出来るはずである。そのためにいま欠けているのは技術と市場を
つなぐ企画能力を持った商社である。商社であるからにはファイナンス機能も
必要でありこのような場は地方の金融機関が目をつけるところではないだろうか。
円高で輸出競争力が損なわれ、大変だといわれている。
確かに、その通りだが、、、、だからといって一言で円高は悪い、と
行ってしまって良いのだろうか?
円高で輸出が不利であれば、輸入は有利だろう。
海外の市場の需要を満たすのが輸出であるとしたら国内の需要を
満たすのが輸入ということになる。
もちろん、海外は大きな市場である。
ところで日本を見ると1億2000万人がいる、アメリカの半分くらい
の人口を持つ国である。
そこにそれなりの規模のまだ顕在化されていない需要があるのでは?
この円高のときこそこの国内需要を徹底的に掘り起こすべきでは?
円高の今のうちに国内需要を喚起し国内のあらゆる水準を向上させる
という戦略はとれないものだろうか?
国内の需要喚起は国内でできることではないか?その中でもとくに
消費需要は今の段階でもGDPの40%ほどを占めているのだが、
これを徹底的に円高を利用して喚起する政策は作れないのだろうか、と
考えたとたん、よっとしたら消費税の増税は逆に国内需要に水をかける
ことになってしまわないか?そうなればせっかくの円高チャンスが生かせ
なくなるのでは?
個人的に考えても、まだまだほしいものはあるのだが、、、、
自信のあることと自信の無いことでは明らかに仕事の
仕方が違う。
自信のあることはぎりぎりまで押さえておいて落ち着いて
手を下す。
ところが自信の無いことは早めに手を出してしまう。
何か、手を出さないと不安になるからである。
実は逆に、自信の無いことほどしっかり構えて落ち着いて
手を下す必要があるのだが、、、
しゃべるときも似ている。
自信があるときはゆっくり、比較的低い声で話している。
ところが自信が乏しいことのときにはどうしても早口に
なる。声も少々高めになる。
ある種のストレスのためだろう。その意味ではまだストレス
コントロールが十分ではない。
深呼吸を一つするだけでずいぶん変わるのだが、、、
28日、29日はいくつかのところの納会に顔を出す機械が
あった。
面白かったのは納会でのスピーチである。どこともに偉い人が
呼び出されて一言話す。
その全てに共通していたのは今年の厳しさとそれをなんとかここまで
もちこたえてきたことについてである。
ところが来年については対照的な二つの傾向に分かれる。
ひとつは、‘さらに厳しくなるやもしれぬから、来年はなお一層がんばろう‘
という話、もうひとつは‘今年のこの厳しさを耐えてきたのだからそのちから
をさらに発揮して来年は明るくしよう‘というメッセージである。
だれしも来年になればよくなるとは腹の中ではおもっていないだろう。
自分としてはどっちのメッセージをとるか?
やはり‘今年の厳しさを耐えることが出来たのだからそのちからをさらに
発揮して来年は明るくしよう‘、である。
民主党が政治主導の旗を掲げて勇ましく政府に入っていって
もう2年を過ぎるが、政治主導はどこかに消えてしまって、
誰もがもはや期待もしていないのではないだろうか。
そこで、この政府のケースを企業のケースに当てはめて考えて
みると何となく理由のいくつかが分かってくる。
まず、日本政府というのはどんなシチュエーションの企業で
あったかというと、長年、代々引き継がれた旧弊化した経営陣が
これまた組織的に硬直した企業を惰性で運営し、何も先に進まず
重要事項は先送りに明け暮れ、挙げ句の果てに毎年赤字(財政赤字)
を積み重ねていた。
そこに、`何でも解決できるぞ`とばかりに経営に名乗りを上げた
集団があり、もう現在の経営陣に愛想をつかした株主は祈る思いで
この集団を新たな経営陣に向かい入れた。かれらの指針は光り輝く
期待に満ちた言葉が並んでいた。
その一つで、これがすべての解決の鍵になるであろう、と思われた
のが経営主導、新経営陣の主体的改革であった。
長年不況に喘ぎ、事業も停滞し、組織も硬直化した企業の立て直し
に入った経営者の場合がまさにこのケースに合致する。
そのとき、新たに登場した経営者がまず手をつけることは三つある。
1。人事権を押さえて組織の活性化を図ること
2。財務経理を掌握し、コスト削減と戦略的な投資、資金投入を
行うと同時に、経理の健全性を確保すること
3。凝り固まった事業運営を活性化するため、旧例に基づいて
活動していたところに、実情、市場にあった活動が行える
ように例外規定を設けで実践させること。
これを政府に当てはめて見ると、各省庁には新しい閣僚が配置され
政治の主体性を発揮するとして、人事院のトップも政権が任命し
さらに各省の予算実行をきっちり監査すべく会計検査院のトップ
も政権が任命することだろう。
ダイナミックな対応をするには例外をつくることだが、例えば
東北経済特区を時限を切って設立することなどは、企業での思い切った
事業転換と似たところがある。極めて重要だが事故が起きてしまって
立て直さなければならない事業には年度業績とは別枠で思い切った
かつ長期的な視点に立った事業投資をおこなうからだ。
とにかく、人事と経理が霞ヶ関にある間は政治主導は極めて難しい
だろう。












